[2019/09/04]

外向機能と内向機能

前回の記事にて外向性と内向性の違いにおけるポイントを解説したが、 今回は各機能について外向機能と内向機能の違いについて考えていきたい。

Se(外向感覚)

客観的な事実感覚がきわめて発達しており、 生涯を通じて具体的な客体についての現実的な経験を積み重ねていく。 但しそれらの経験に依存することはあまりしない傾向にある。 経験はあくまでも新たなる感覚へのきっかけとして働くに過ぎないのである。
 また関心の対象となる新しいものは、 皆感覚を通して得られ、 感覚の目的に適う必要がある。
 Seにおける客観性は外界の事物それ自体に重きを置くことにあり、 刺激を得るために積極的に外部に働きかけ対応する。
 この動機付けから目的に至るまで外界の事物に強く影響されるという点については、 外向型全般の共通点となっている。 無論その中でもとりわけ五感で捉えられる事実そのものに強い影響を受けるのがSeということになる。

Si(内向感覚)

Seが客体の持つ影響力の強さに左右されるのに対し、 客観的刺激によってもたらされる主観的な感覚に従って自らを方向付けるのがSiの特徴となっており、 客観的事実と感覚の間にギャップが生じる。
 例えば外側からは表情に乏しく見えても、 本人は心の中で大いに感動していたり楽しんでいたりするといったことが起こる。 これは外界の出来事を主観的感覚というフィルターを通しているから起こる現象である。
 つまり外界の変化が些細なものであっても、 主観的感覚をもって満足することができるのがSiの特徴の一つともいえる。
 逆に大きな変化であれば、 場合によっては必要以上に内面が強く刺激されることもある。 Siが習慣や権威を重宝し、 逆に変革を苦手とするのは上記の性向に由来していると思われる。

Ne(外向直観)

Se同様、 外界の客体に強い関心を示すのがNeの基本性向となっており、 一方Seと異なるのは客体の持つ誰の目にも明らかな現実価値ではなく、 可能性が存在する方角に自らを方向付ける点にある。
 そのため昔から存在し基礎がしっかり固められ安定してはいるが、 しかし限られた価値しか持たないものには興味を持たない。 あくまでこれから芽を出すものや将来性のあるものに対する鋭い嗅覚を発揮する。
 例えるなら企業による学生の青田買いのようなものであろう。 新卒の学生というはまさしく可能性の塊である。 ここで注目すべきは新卒の学生が可能性に溢れた存在であるということに関しては世間が広く認めている点だ。 この点にこそNeにおける客観性であり外向性が存在している。
 一方彼・彼女ら(学生)に、 ではどういった可能性があるのかは明らかになっておらず、 それを感じ取る嗅覚こそがまさしく直観である。

Ni(内向直観)

Si同様、 内界即ち主観的な要素に左右される。 Siと異なるのは感覚刺激ではなく、 主観的なイメージによって自らを方向付けるという点にある。
 イメージに力点を置いているため、 それが変化し発展していく様をより鮮明に知覚しており、 これはSeが外界における事物の変化の詳細を知覚するのとある意味で同じように作用する。
 また直観型であることも注目すべき点となっている。 Neが外的客体の可能性に夢中になるあまり、 自他両方の健康や幸不幸などに無関心になるように、 Niもまた自身の中にあるイメージと自分自身とを切り離して捉えている。
 要するにそのイメージが自分自身に直接的に幸不幸をもたらすかどうかといったことを度外視しているということである。 なので創造性に富んでいるものの、 直接的には役立たないという点では非生産的といえる。
 例えるならNiとは失恋して肩を落とす友人と、 先日見かけた野良猫とを結び付けるようなものである。 ここで注目すべきは2点ある。
 1つが主観性であり、 つまり先日見かけた野良猫を持ち出している点である。 これは誰もが認める事実ではなく、 自分しか知りえない情報であり、 その点において主観性即ち内向性が存在している。
 もう1つは合理性が度外視されている点にある。 友人に猫を渡したところで良い反応が伺えるかどうか、 そもそも先日見かけた野良猫を手にできる保証があるわけではないといった部分はひとまず放置される。 それらはあくまでも判断機能によって精査されるものとなっている。
 あくまでも友人と猫のイメージを「見た」「感じた」に過ぎず、 それ以上でも以下でもないということなのだ。 但しそのイメージはやがて収束し確信を得られることになる。
 しかし先にも述べたように、 そのイメージが実現されるべきかどうかに力点は置かれておらず、 そのあたりは判断機能によって補強されていくことになる。

Te(外向思考)

客体・客観的データに基づいて自らを方向付ける。 五感によって得られる客観的データを拠り所にするが、 事実のみならず理念なども判断基準となり得る。 その基準が客観的な状況から取得されているかどうかがポイントとなっている。
 Teにおける善悪や美醜の判断については、 客観的事実やそれを整理した知的な公式に基づき決定される。 その公式に則っているものは正しく、 矛盾するものは正しくないと明確に判定されるのである。 それを正すために是正しようとするが、 そのプロセスもまた事実や公式に従って実行される。
 Teの外向性はシンプルで、 判断のプロセスにおいて客観的事実・理念等を根拠とすることにあり、 逆に言えば思考過程において主観的要因を極力排除することともいえる。

Ti(内向思考)

主観的要因を基準にして自らを方向付ける。 Tiにとって外界の出来事は原因・目的にはならない。 その思考は主体の中で始まって主体に戻る。
 要するに外界に積極的に働きかける類のものではなく、 言わば見解・理論・問題提起を独自に生み出すものがTiにおける思考となっている。 ここにTiの主観性延いては内向性がある。
 この思考によって外界に影響を与えることもあるが、 先述したようにそれを目的に据えているわけではない。 このあたりに、 そのきっかけからプロセスそして結末に至るまで外界の事物・基準に左右されるTeとの違いが見られる。

Fe(外向感情)

Te同様、 客観的な既成事実によって自身を方向付ける。
 客体が感情の在り方を決定する上で重要なファクターとなり、 逆にFeにおいて主観的要因に囚われることはない。 あくまでも客体の影響に基づいている。
 主観的な感情に依らず、 その場に適した感情判断を行う。 つまりその場にいる皆の感情に肯定的な感情判断に従うということである。
 例えばとある美術品の評価において、 自身の内的な声ではなく外的要因に基づいた判断を下す。 即ち著名な作者のサインや、 持ち主の気分を害しないようにするためといったことを判断根拠に据え置く。
 言わばFeの判断や評価には常に客観的価値・普遍的な既存の価値基準が付いて回るということである。 流行や文化が盛んに支持されるのもFeに依る所が大きい。

Fi(内向感情)

主観的要因を基準にして自らを方向付ける。
 客体よりも主観を重んじるためこの感情が表面に現れることは少ないといえ、 現れる時はしばしば他者に誤解される。 主観を重んじるということは即ち客体の価値が相対的に軽く扱われており、 つまりは客体の価値を否定しているように誤解される。
 とはいえ基本的には外部に対して協調的且つ共感的な態度を示すなど、 当たりの柔らかい印象を周囲に与える。 こういった傾向が強まると外界に対して無関心で冷たい態度を取っているという誤解を受けることがある。


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